2018年7月13日、母の実家の沖縄に帰ったので、最近映画の舞台で有名になった「ハクソー・リッジ」に行って来ました。
ハクソー・リッジは、「浦添城跡」にあり、琉球王国の陵墓である「浦添ようどれ」のすぐ近くにあります。実際に行ってみるとハクソー・リッジと呼ばれる崖までは簡単に行けました。しかし、浦添城跡 案内MAPで気になった「ワカリジー」と呼ばれている大きな岩までの行き方がよくわかりませんでした。
この記事では、「浦添ようどれ」から「ハクソー・リッジ」に行き、「ワカリジー」までの行き方を解説します。
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ハクソー・リッジとは
ハクソー・リッジは、太平洋戦争の沖縄戦で、日本軍がアメリカ、イギリスなどの連合軍との激戦地の一つです。
日本軍の陣地は「前田高地」と呼ばれ、浦添城跡の南東にある場所で、北側が約150メートルの断崖になっており、米軍がこの崖につけた呼称がハクソー・リッジ(Hacksaw Ridge)です。直訳すると「弓ノコ状に隆起した細長い地形」という意味になります。
ハクソー・リッジの場所
【映画】ハクソー・リッジの舞台になった崖は、沖縄県浦添市の浦添城跡にあります。琉球王国の陵墓である「浦添ようどれ」がある場所付近にあります。日本では前田高地と呼ばれています。
浦添グスク・ようどれ館 へ
僕は、浦添城跡 へ首里から車で行きました。
浦添城跡 の入り口の手前には、「浦添グスク・ようどれ館」 という歴史博物館があり、浦添グスク・ようどれの歴史について学べます。西室の英祖王(えいぞおう)の墓の原寸レプリカは見ものです。
浦添城跡 案内MAPでは、ワカリジーの行き方がよくわからなかったので、ここのガイドの方にワカリジーの行き方を聞きました。
ガイドの方によると、現在、ハクソー・リッジから先のワカリジーに続く道は通行止めになってる為、ワカリジーに行くには、一度、241号線に出て、崖の反対側の麓から登るしかないけど、駐車場がないから不便とのことでした。
しかし、実際はハクソー・リッジからワカリジーまで、墓地を通れば行くことができできました。この墓地が私有地なので推奨されなかったのでしょうか。
浦添城跡へ
浦添グスク・ようどれ館から浦添城跡へは約120mの距離で、車で約1分です。
ここが浦添城跡の入り口で、すぐ手前が駐車場になっています。まずはGoogle Mapでここに来ます。
浦添ようどれへ
浦添城跡の入り口を入るとすぐに浦添ようどれの入り口があります。
浦添ようどれに行くには、ここを左に曲がります。曲がらずに道なりに進めばハクソー・リッジです。
浦添ようどれ入り口付近からの眺めです。
浦添ようどれへはこの階段を降ります。
結構急なので要注意です。
階段を下まで降りると、浦添ようどれへと続く道があります。ここを左に曲がれば浦添ようどれを下から見渡せます。
浦添ようどれへと進んでみます。
この先は「暗しん御門(くらしんうじょう)」と呼ばれる岩盤と石積みでできたトンネルがあった場所です。沖縄戦で天井が破壊されました。
暗しん御門(くらしんうじょう)からの眺めです。
この先が浦添ようどれです。
浦添ようどれは、琉球王国の陵墓です。岩盤を彫り込んだ「掘込墓」で、墓室が2つ並んでいます。
左側が尚寧王(しょうねいおう)、右側が英祖王(えいぞおう)の墓と言われています。西室の英祖王の墓は、「浦添グスク・ようどれ館」に原寸レプリカがあり、見ものです。
この石垣が、この世とあの世を分けてる様な雰囲気があります。
階段の下まで戻り、浦添ようどれの下に降りてみます。
この琉球王国の石垣は日本のお城の石垣とは全く違いますね。
この石垣も沖縄戦の時に大破したので、現在のものは戦後に復元されたものです。
正面からです。角が曲線になってるのが特徴的です。
ハクソー・リッジへ
浦添ようどれから戻り、坂道を登り進みます。
坂を登りきると平地になっています。
先に進むと開けた場所があり、崖があります。この場所がハクソー・リッジです。
【映画】ハクソー・リッジのガイドがありました。
この場所が、デズモンド・ドスが多くの兵の命を救った所です。
ハクソー・リッジからの眺めです。
北側が見えます。浦添の市街地の向こうは宜野湾の海です。
この海から米軍が攻めて来ました。
沖縄戦当時の上陸の様子です。
奥に普天間飛行場の滑走路が見えます。
後で矢印の崖の下に降りてみます。
浦和城の前の碑
ハクソー・リッジから南側(崖の反対)に少し降りた所に浦和城の前の碑があります。これは1597年に浦和城と首里城を結ぶ道路を整備した竣工記念碑でしたが、沖縄戦で大破したため、戦後に復元したものです。
前田高地平和の碑へ
ワカリジーに行くには、ハクソー・リッジからさらに崖の柵沿いに進みます。
ハクソー・リッジから先は、道が結構険しくなっているのと、ハブが出たりするので注意が必要です。
柵沿いに進むと薮の中に入って行きます。
ハブに注意の看板があります。
突き当たりに行くと、左に下に降りる道があります。なかなかの獣道ですが、この岩の向こうに階段があります。
下に降りると、前田高地平和の碑があります。これは沖縄戦の第32連隊第2大隊(志村大隊)の慰霊碑です。
右は断崖、左は斜面に沿った墓地が続きます。
この断崖には、陣地壕があります。
この道をさらに進むともうすぐワカリジーです。
ワカリジーへ
前田高地平和の碑から、ワカリジーまでが分かりにくかったので、動画を作成しました。
前田高地平和の碑からさらに進むと、途中で分岐しています。右は現在通行止めということなので、左の墓地の中を進みます。
墓地を進むと途中で分岐しています。ワカリジーはここを右に上がります。左に降りれば崖の下です。
上まで登るとフェンスがあり、この中に進みます。
崩れそうな階段を登ります。
階段を登りきるとワカリジー(為朝岩)がありました。
ワカリジーの麓には、前田集落の拝所があります。
沖縄戦の時、ワカリジーは米軍からは、ニードルロック(針の様な岩)と呼ばれていました。
ワカリジーの反対側です。静かでなんとも言えない雰囲気です。
北側には、前田高地平和の碑方面に続く道がありますが、現在は通行止めです。
下に降りると墓地が見えましたが通行止めなので戻ります。
ワカリジーは劣化して崩れてしまいそうなので、岩用接着剤とネットで補強してあります。
ネットは近くで見ないと分かりません。
少し先に進んだところから撮影しました。
ハクソー・リッジの崖の下へ降りてみた
いったん車に戻り、ナビで崖の下になる場所に行きました。崖の下は公園の様に整備されています。
ここがハクソー・リッジの正面です。上から見下ろした場所に来ました。
沖縄戦の米軍視線のハクソー・リッジです。
この崖は現在、木に覆われていますが、米軍が縄を掛けて登った断崖です。約150メートルの断崖を登るのは必死ですね。
ここはまさに天然の城壁ですね。
ちなみにこのあたりには車を停められる場所がありませんでした。
さいごに
僕の中ではこの浦和城跡の一番の見所は、ワカリジーでした。
遠くからでも見えるこの巨大岩は、実際に行ってみるとなんとも言えないスピリチュアルを感じました。
そして今回、琉球王国のお城やお墓、沖縄戦などの歴史の勉強にもなりました。