2019年9月4日撮影
首里城は、母の実家のすぐ近くなので、子供の頃から何回も行った思い出があります。
今年の夏にも2度、7月と9月に首里城に行って来たところです。
しかし、2019年(令和元年)10月31日に火災が発生して首里城が焼失してしまいました。琉球歴史のシンボルだった首里城の正殿、北殿、南殿が全焼して、約500点もの琉球王国の貴重な文化財も失ってしまいました。
この記事では、2度と見る事が出来ない以前の首里城の写真を公開していきます。
首里城の歴史
琉球王朝時代は王家の居城でした。いつ建てられたかは不明です。
1879年(明治12年)の琉球処分で沖縄県が設置され、琉球王国が滅亡してからは政府の機能を失い、荒廃していきました。
太平洋戦争の沖縄戦では、日本軍の総司令部が置かれて、攻撃で破壊されました。
戦後は首里城跡に琉球大学が建てられましたが、1979年(昭和54年)に琉球大学が移転すると本格的に復元が始まりました。1989年(平成元年)からは正殿や他の建物の復元が始まり、1992年(平成4年)に正殿などの建物や城郭、門が復元を完了し、首里城公園が開園しました。そして2019年(平成30年)1月に、全ての復元が完了しました。正殿などの復元開始から約30年です。
現在、首里城跡は世界遺産、首里城は日本100名城になっています。
2019年10月31日の火災で正殿、北殿、南殿が全焼しました。過去に続き5回目の消失になります。
守礼門(しゅれいもん、しゅれいのもん)
首里城の入り口にある守礼門は、約500年前に建立されました。沖縄戦で破壊されたのち、1958年(昭和33年)に復元されました。
首里城が再建されるまでは、首里城跡に守礼門だけがポツンとありました。
2019年9月4日撮影
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
守礼門をくぐり、少し歩くと左手に園比屋武御嶽石門があります。
ここから2019年7月8日撮影
園比屋武御嶽石門の向こう側の森が園比屋武御嶽の一部です。この場所は国王が拝礼する聖地のようなものです。門の形をしていますが人が通る門ではなく神様が通る門です。
歓会門(かんかいもん)
園比屋武御嶽石門を越えると、城郭に入る一番目の門、歓会門があります。歓会門の両側には、魔除けのシーサーが置かれています。
龍樋(りゅうひ)
歓会門から次の瑞泉門に登る石段の途中に泉があります。
この湧き水が出てるところが龍の形をしてるので龍樋と呼ばれています。その龍頭は、約500年前に国王の遣いが中国で一目惚れして購入したお土産だそうです。ここの水は王宮の飲料水に使われていました。
瑞泉門(ずいせんもん)
泉があることから瑞泉門と名付けられました。瑞泉門の両側にも魔除けのシーサーがあります。
漏刻門(ろうこくもん)
漏刻とは中国語で水時計という意味になります。門に水時計があったことから漏刻門と呼ばれています。
広福門(こうふくもん)
広福門は建物自体が門の機能を持っており、この形式は首里城の城門の特徴です。現在、この建物は料金所として利用されています。
広福門の前は眺めがよく、龍潭の池方面を見下ろすことができます。
広福門をくぐると券売所になっているのでここで入場券を購入します。
入場料金は大人830円です。
下之御庭(しちゃぬうなー)
広福門(料金所)の前には広場があり、正殿前の広場に入る前の待機場所に使われていました。
首里森御嶽(すいむいうたき)
下之御庭には首里森御嶽があります。この御嶽は場内に10箇所あった礼拝所の一つです。
奉神門(ほうしんもん)
奉神門は正殿前の御庭に入る最後の城門になります。ここの門は3つあり、中央は国王など身分の高い人、その他の役人は両側の門を通りました。現在は改札所として利用されています。ここから先は有料区域になります。
正殿と御庭(うなー)
奉神門をくぐると、朱色と白の瓦で出来た広場「御庭」が広がり、正面に正殿を望めます。この中央の赤い道は「浮道(うきみち)」と呼ばれ、国王や中国皇帝の使者などしか歩けない道ですが、なぜか斜めになっています。この浮道は、正殿から首里森御嶽に向かって延びていますが理由は謎です。
2019年9月4日撮影
正殿の中央の階段の両側には、「大龍柱」があります。そして手すりの上には「小龍柱」があります。大龍柱は現在は向かい合っていますが、昔は正面を向いていたという説もあります。この大龍柱は、2019年の火災でも残っています。
北殿(ほくでん)
正殿の左側にあります。北殿は正殿と同様に塗られています。現在は映像展示などに使われています。
南殿・番所(なんでん・ばんどころ)
正殿の右側にあります。向かって右側が番所、左側が南殿です。建物に塗りはありません。順路ではこの番所から靴を脱いで首里城内に入ります。現在は展示スペースになっています。
それでは、ここから首里城内部に入って行きます。
首里城内部の様子はこちらの動画で見れます。↓↓↓↓
御内原(おうちばら)エリア
2019年2月1日から御内原エリアが新たに公開されました。正殿などの行政の場所に対して、御内原は王家の生活の場所になります。
後之御庭(くしのうなー)
城内の見学を終え、正殿から出ると、ちょうど正殿の裏側に出ます。この広場が後之御庭です。右の建物が寄満、左が世誇殿。
正殿の裏側です。
世誇殿の横から東のアザナに向かいます。
石の坂道が続きます。
白銀門(はくぎんもん)
白銀門は石積みの門です。ここをくぐると、もうすぐ展望台です。
この階段を上ると展望台です。
東のアザナ(あがりのあざな)
東のアザナは、城郭の東側にある展望台です。標高約140mあり、正殿の裏側や、那覇市内、そしてその向こうの海までも眺める事ができます。
首里城の裏側や御内原エリアを一望できます。
2019年9月4日撮影
東のアザナ先端からの眺めです。首里城の北側や守礼門、街、海、さらに久高島が見えます。
2019年9月4日撮影
望遠で撮影しました。
首里城周辺
こちらは、守礼門方面ではなく、逆の龍潭通り方面からの眺めです。
左手には、円覚寺跡があります。円覚寺は室町時代に鎌倉の円覚寺を模して造られました。総門から中には入れませんが、国の重要文化財の放生橋があります。
久慶門(きゅうけいもん)
円覚寺跡を越えると首里城の城壁が見えてきます。その大きさに圧倒されます。
久慶門はかつて女性専用の門で勝手口として使われていました。
首里城の場所
首里城は、沖縄県那覇市首里の首里城公園内にあります。
那覇空港から車で約50分、国際通りの三越前から約20分で、ゆいレールの首里駅からは徒歩で約15分です。
住所は、〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町3丁目1
首里城公園公式ページ →首里城公園
さいごに
首里城は琉球王朝時代を物語る立派なお城でした。現在では希少な資材が使われており、当時の技術を再現するのも難しいかもしれません。
なにより約500点もの琉球王国の貴重な文化財焼失は悔やまれます。
しかし、首里城は沖縄のシンボルなので、もう一度再建して、より良い首里城になることを願います。今度はしっかりと防火設備、安全対策を。
僕は那覇市の首里城再建支援プロジェクトに寄付しました。みなさんも是非応援をよろしくお願いします。
ふるさと納税で応援はこちら →沖縄のシンボル「首里城」再建支援プロジェクト